評価するということ
答の書かれていない,空白に満ちたあの子の答案用紙。
この空白の「物言わぬ」答案用紙の欄に,私はこれまで何を読み取ってきたのだろうか。
空欄で提出せざるを得なかったこの子の気持ちなどに,全く思いを馳せることもなく,いつものように「また,勉強をせんかったね!」と,空白の解答欄にザーッと冷たい斜め線を引いていました。
「自分があんなに精魂傾けて教えてやったのに,何なんだ,この空欄は?」教えた結果のあまりの不出来に,採点ペンで,その子を責めることに心を奪われていました。
答案返却のある日,
「間違った私も悪いけど,こんなピンはねえ。」
「私,頭悪いから・・・。」
採点済みの答案用紙を受け取ったその子の,恨みにも,また,諦めにも似たつぶやきが耳に入ったとき,一瞬激しい衝撃が走りました。
その恨みにも,また,諦めにも似た言葉は,私が失いかけていた,あるいは,忘れかけていた人間教師としての姿勢を思い出させるとともに,考えさせてくれるものとなりました。
そうなんだ,本当は,どの子も百点満点取りたい思いは誰よりも強いのだ。
「勉強が分かりたい。できないけれども,私だって,ぼくだって,100点取ってみたいんだよ。
分からないだろ,この気持ち。」こんな「学びに対する飢え」が,無言の訴えとしての空欄に満ちた解答用紙の『物言わぬ心からの声』だったのです。
しかし,その時の私は,そんな声の聞こえないところに立ち続けていました。
思えば,私の学生時代の恩師は,きれいな○で採点し,誤答であればあるほど,丁寧なコメントを書き添えてくれていました。
この一言コメントが,実は,自分のやる気をかき立てていたのでした。
この師の,たとえ答案用紙といえども,そこに人格を見据えたかかわりの姿を思い出し,「大事にされていたんだ。」とあらためて温かい気持ちに浸ることでした。
県内のある先生の教育実践記録集の中に,次のような生活詩が描かれています。
先生すかん
ばかでもぼくはいいけど
ゆだんなどしている
ぼくに
なんでちゅういしないんですか
(小4)
この子の作品を読んだこの先生は,最初は,軽く読み流したそうであります。
しかし,心のどこかに引っかかるものがあって,「なんで,この子は『ばかでもぼくはいいけど』とわざわざ断ったのか。
『ばかでもぼくはいいけど』というのは,自分のことを卑下していることではないか。
それはどうしてか。」そして,そのことと「先生すかん」というタイトルとの関連を丹念に読み取っていこうとしたと言います。
その読み取りの中で,気付かされたことは,「そうだ,ただ単に,注意してよと訴えているのではなく,まさに“伸びることへの激しい渇望”の裏返しであったのだ」と言います。
表面に現れることのその奥にあるもの,視ようとしなければ観えないものがあることをあらためて教えられることでした。
鹿児島県のホームページ「評価するということ」より
答の書かれていない,空白に満ちたあの子の答案用紙。
この空白の「物言わぬ」答案用紙の欄に,私はこれまで何を読み取ってきたのだろうか。
空欄で提出せざるを得なかったこの子の気持ちなどに,全く思いを馳せることもなく,いつものように「また,勉強をせんかったね!」と,空白の解答欄にザーッと冷たい斜め線を引いていました。
「自分があんなに精魂傾けて教えてやったのに,何なんだ,この空欄は?」教えた結果のあまりの不出来に,採点ペンで,その子を責めることに心を奪われていました。
答案返却のある日,
「間違った私も悪いけど,こんなピンはねえ。」
「私,頭悪いから・・・。」
採点済みの答案用紙を受け取ったその子の,恨みにも,また,諦めにも似たつぶやきが耳に入ったとき,一瞬激しい衝撃が走りました。
その恨みにも,また,諦めにも似た言葉は,私が失いかけていた,あるいは,忘れかけていた人間教師としての姿勢を思い出させるとともに,考えさせてくれるものとなりました。
そうなんだ,本当は,どの子も百点満点取りたい思いは誰よりも強いのだ。
「勉強が分かりたい。できないけれども,私だって,ぼくだって,100点取ってみたいんだよ。
分からないだろ,この気持ち。」こんな「学びに対する飢え」が,無言の訴えとしての空欄に満ちた解答用紙の『物言わぬ心からの声』だったのです。
しかし,その時の私は,そんな声の聞こえないところに立ち続けていました。
思えば,私の学生時代の恩師は,きれいな○で採点し,誤答であればあるほど,丁寧なコメントを書き添えてくれていました。
この一言コメントが,実は,自分のやる気をかき立てていたのでした。
この師の,たとえ答案用紙といえども,そこに人格を見据えたかかわりの姿を思い出し,「大事にされていたんだ。」とあらためて温かい気持ちに浸ることでした。
県内のある先生の教育実践記録集の中に,次のような生活詩が描かれています。
先生すかん
ばかでもぼくはいいけど
ゆだんなどしている
ぼくに
なんでちゅういしないんですか
(小4)
この子の作品を読んだこの先生は,最初は,軽く読み流したそうであります。
しかし,心のどこかに引っかかるものがあって,「なんで,この子は『ばかでもぼくはいいけど』とわざわざ断ったのか。
『ばかでもぼくはいいけど』というのは,自分のことを卑下していることではないか。
それはどうしてか。」そして,そのことと「先生すかん」というタイトルとの関連を丹念に読み取っていこうとしたと言います。
その読み取りの中で,気付かされたことは,「そうだ,ただ単に,注意してよと訴えているのではなく,まさに“伸びることへの激しい渇望”の裏返しであったのだ」と言います。
表面に現れることのその奥にあるもの,視ようとしなければ観えないものがあることをあらためて教えられることでした。
鹿児島県のホームページ「評価するということ」より